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北天のタル~三条ダルミ

期 日:2019年9月28日(土)
参加者:そうべぇ

9月28日(土)晴れ
片倉橋ゲート前駐車場(6:00~6:20)-林道終点(7:38)-三条の湯(8:00~8:05)-三岩分岐(9:20~9:45)-三条ダルミ(11:15~11:30)-三条の湯(12:40)-林道終点(12:55)片倉橋ゲート前駐車場(13:55)

9月の会山行で雁坂峠から三条ダルミを計画していたが、三岩分岐から三条の湯へと下った。つまり計画変更をした。雲取山から三条ダルミ、三条の湯はオヨシ、こー平にてつなげていたことが理由だ。とにかく繋がることを目標としていたので問題ないと判断した。しかし、「奥秩父縦走路」と地図上には記載されており、その一部分が欠落していることの気持ち悪さ、心残り、後ろ髪ひかれっぱなしの気持ちがぬぐいきれず、あるいは罪悪感からか、改めてつなぎなおしの計画を立てた。林道歩きの長いことを除けば、楽しい山歩きになるのではないかと思った。この日は、ラグビーワールドカップ日本対アイルランド戦があるので、少なくとも帰りの車でラジオ中継には間に合うように下山したい。この長い林道をいかに克服するか、林道なので力まかせに走るのみ。疲れたら歩き、癒えたら走りの繰り返し。
片倉橋ゲート前駐車場を6時20分に出発。林道の緩い登りを走ったり、歩いたりしながら7時35分に林道終点に到着した。以前はこの林道終点まで車は入れたようだが、落石の危険が増したので、進入禁止となったようだ。林道から眺める沢は水量が多く、激しい流れだ。綺麗な沢だと思った。林道終点から三条の湯まで30分ほどの行程、8時ちょうどに到着。三条の湯からは三ッ岩(北天のタル)経由の周回ルートをとった。高低差約850mの登りである。他の登山者とも会わず静かな登りを楽しんだ。北天のタルには9時15分到着。ここから三条ダルミまでは尾根上で起伏のない平坦なルートとなる。草原上であれば申し分ないのだが、クマ笹の藪を掻き分けながら進まなければならず、思ったほど走れない。登山道も笹におおわれ、足元が見えない。笹に足を取られ滑り、谷側に落ちてしまう危険性もあった。十分に整備されていない登山道だ。奥秩父縦走路は山梨県側の整備は行き届いているが、東京都、埼玉県側はあまり気にされていないように思えた。クマ笹を掻き分けて進むと、視界が開けぽっかりとした草原が目の前に広がった。狼平1752mである。赤トンボがたくさん飛びかっていた。あまりにも気持ちのいい場所なのでしばらくぼぉーっとしていた。三条ダルミには11時15分到着。

三条ダルミ

雲取山までの往復も考えたが下山を急いだ。腹ごしらえをして三条の湯に向かった。途中迂回路があり、登り返さなければならないことは想定外だったが、鹿の親子に見守られながら静かな山歩きを満喫した。三条の湯からは来た道をたどり、片倉橋ゲート前駐車場には13時55分に着いた。
「あかつきビッグバン・トレール」上の奥秩父縦走路はこれで完結。これで心残りも無くなり、さっぱりした。

(記 そうべえ)

島々~徳本峠~上高地

期 日:2019年9月7日(土)
参加者:そうべぇ

9月7日(土)
島々登山口(4:10)-二俣(5:40)-岩魚止小屋(7:20~7:35)-徳本峠(9:35~9:50)-上高地(11:20)

計画を立てては台風の影響で日程の変更、台風の影響がないだろうと思い決行しては敗退。いつできるのかと気がかりであった山行は、天気予報をチェックする毎日であった。8月の中旬から毎週末は台風が襲ってくる天気の中でやっと晴れの予報が出た。これを逃すと実行できる自信も失い、徳本峠クラシックルートへのモチベーションも下がってしまう気がした。会社から帰宅後、20時に自宅を出発。0時30分松本市役所安曇支所内の駐車場に車を止める。登山客とみられる車は3台ほどあった。車中泊で出発の予定時刻5時前まで仮眠をとるが、止めた場所が悪く少々斜めであり、うまく寝つけない。2時ごろ隣が騒々しい。トレランの男2人組が出発の準備をしているようだ。3時前にヘッドライトをつけ走って行った。徳本峠だろうか。まだ時間があるのでもう少し寝ようとするが目が冴え眠れないので、起きて出発の準備を始めた。予定より1時間早い4時過ぎに支所の駐車場を出た。  
4時10分、島々登山口である徳本峠入口とある看板の前で記念撮影。

徳本峠入口

上高地まで20kmとある。徳本峠まで16kmの長丁場だ。川沿いにしばらく進むとゲートがありその先が林道であり二俣へと続いている。ゲートはしっかりとした作りで、ゲートが開かないように鎖で幾十にも巻かれていた。熊に注意の看板もある。しっかりとしたゲートはそのためなのだろうか。ゲートを閉じ進む先を見ると後悔した。真っ暗だ。ヘッドランプがあるからといって漆黒の闇は怖い。星明かりも届かない。すぐに夜も開けるだろうと思うのだが、1時間以上は暗闇の中を進まなければならない。おまけに熊も出るようだ。熊対策として、手作りの熊よけの鈴を持参し、手首につけ意識的に鈴を鳴らしながら歩くのだが、熊に出会ったら全く役に立たない。熊に人がいることを気付いてもらい、近づいてこないように祈るだけだ。しかし鈴の音は小さく、出会ってしまってはじめて人間がいることに気がつくのだろう。暗闇と熊に怯えながら長い林道を進んでいく。島々谷川の音が細く遠くなり、緩やかだが高度を少しずつ上げていることがわかる。途中に二俣近くが崩落のため通行止めとの看板とゲートがあり車の通行を規制していた。平成30年7月豪雨のための徳本峠方面は全面通行止めと標識がある。ここで引き返さなくてはいけないのかと思い進むことを一瞬躊躇うが、行けるところまでは行ってみるかと思い進んだ。5時になってもまだ暗くヘッドランプはつけたままだ。朝はまだ来ない。川沿いの茂みでガサゴソと音がすると緊張し足が止まる。じっとして様子を伺うが気配は感じない。また、歩き出す。後ろで突然大きな音が聞こえ、何かがこっちに向かってくる。振り向くと音の正体は車だった。ライトを照らしながらカーブを曲がり、正体を現した。なぁんだ車か、本当にびっくりした。熊が恐いので車に乗せてもらおうかと思ったが、歩かなければ今回の山行の意味がなくなるので、手を上げて車を止めることはやめた。自分の臆病ぶりには正直情けなくもあり、可笑しくもあった。法面が大きく崩落している箇所があった。ここが崩落現場のようである。すでに林道は整備され車も通行可能である。ここからしばらく歩くと二俣だ。5時40分に到着した。山の稜線ならばすでに山は目覚めているはずなのに、あたりの様子はうかがえる程度には見える。ここは谷、 島々谷はまだまだ眠そうだ。暗闇から解放されたおかげだろうか、熊との出会いの心配も少し薄らいだ。先ほど出会った車が止まっている。作業員の車だろうか。二俣からは南沢に沿って登山道を進んでいく。沢の水量も多く、最近の降雨量の多さを物語っている。沢は綺麗だ。登山道は細いのだが、綺麗に整備されている。その昔、岳人たちが上高地に入るためにこのルートをよく利用していたことがうかがえる。登山道はUp, Downを繰り返し徐々に高度を上げていく。斜面が崩れ登山道も流されているところもあり慎重に通過する。登山道が狭く、ふらついたりすると沢に落ちてしまう危険もあるので足元に注意をしながら通過する。いくつかの橋を渡り岩魚留小屋に7時20分に到着した。9時30分に到着の計画を立てていたのだが、1時間前倒しに登山口を出発しているとはいえ、7時20分到着は随分と早いなと思った。しばらく休憩し先を進む。中ノ沢、障子川瀬沢を過ぎる。枝沢であるが水量は多い。登山道は枝沢から溢れた水で水没しているところもあった。本谷と峠沢の分岐から峠沢沿いに登っていく。スマホのアプリで標高を確認すると1747mだ。登山口の標高が730mほどだったのでちょうど1000mほど登ってきたことになる。しかしそんなに高度を稼いだ気にならない。不思議でしょうがない、なぜだろう。谷に光が差し込み始めたのもこの頃からだ。遅い目覚めである。沢の音が遠くなり始めたころからジグザグの急登が始まる。これを登りつめると峠なのだと思うとワクワクした。木々が低くなり、青空が近づく。もうそこが徳本峠だ。目の前が開けた。穂高連峰が飛び込んできたと期待したのだが、目に飛び込んできたのは徳本小屋だった。徳本峠クラシックトートの醍醐味は、峠に上がった時に穂高連峰が目に飛び込んでくる素晴らしさと聞いていたが、そうでもなかった。小屋が新しくなった際に古い小屋を前に移動させたのではないだろうか。峠も様変わりしている。穂高を望む望遠鏡も取り払われていた。峠自体も少し狭くなったよう気もする。そのせいで穂高連峰の見え方も違ってきたのだろうか。9時35分に徳本峠に到着した。

徳本峠

小屋番に先日(8/16)の台風の通過後の情報を聞いたら、濁流で橋が流されていたため、登山客が登れなかったそうだ。あのまま、島々まで降っていたら途中で引き返すことになっただろう。上高地に下山の判断をしてよかったと思った。無理はせず、不安な状況であれば回避する。回避手段はいろいろあるが、習慣にしたいものだと思った。しばらく峠で穂高連峰を眺め、9時55分に下山を開始、11時20分に上高地に到着した。

上高地

コースタイムを3時間30分ほど早く到着したことになるが、特別無理をしたとも思えない。地味な山行だったが懐の深い谷を満喫した。単独もまた、楽しい。

(記 そうべぇ)

 

上高地~徳本峠

期 日:2019年8月16日(金)~8月17日(土)
参加者:Lそうべぇ、メイメイ

8月16日(金)
島々・安曇支所前(6:06)=上高地(7:05~8:00)-徳本峠(11:30)

徳本峠クラッシクルートは島々谷から上高地に抜ける峠道。古く歴史に残る名門ルートである。上高地までの道が開通していなかった当時は、島々谷からこの峠道を経由し上高地まで2日ほどかかり歩かれていた。その距離は20km。釜トンネルの開通以降バスで上高地まで入れるので、今では上高地が北アルプスの起点となり、この峠道は忘れられたような存在となっているのではないだろうか。その分静かな山歩きができることが期待できる。私は、50周年記念山行の計画中にも、上高地から松本駅までの国道をランニングすることを考えていた。地図を一緒に見ていたさっちが、「徳本峠越えのクラシックルートは憧れなんだよね。」との一言でこの山行を計画した。8月の爽やかな夏を感じながらの峠越えを期待した。
8月4日に発生した台風10号(Krosa)は発生時点で「大型」の台風であった。私たちの山行は16日なので、台風一過の爽やかな山歩きができると信じていた。台風ははじめマリアナ諸島近海を北西に進んでいたが、8日頃から11日頃にかけてほとんど停滞し、8日には勢力のピークを迎えた。その後徐々に勢力を落とし、11日昼ごろから再び北西に進み始めたものの衰弱していった。暴風域が消滅した12日には平成29年の台風21号以来の「超大型」の台風となったが強風域が縮小し「大型」の台風に戻りつつ再発達した。勢力は弱まったものの太平洋沿岸においては風が強まり、高知県の室戸岬では15日8時に最大瞬間風速41.1メートルが観測された。中国地方を暴風域に巻込みながら豊後水道を北上、15日11時には愛知県佐多岬半島を通過。その後も勢力は衰えることなく同日15時ごろ広島県呉市付近に上陸した。その後台風10号は日本海に抜け、日本海を北上し16日21時に北海道の西、北緯43度、東経138度で温帯低気圧に変わりその後消滅した。横浜からの移動中の車の中では「台風の影響はないよね。」「ない!ない!」。と何度も自問自答を繰り返し、松本に向かったのであった。島々谷から峠越えが正しいルートなのだが、台風の影響で登山道が荒れているのではないかと思い、逆ルートの上高地から入山することにした。台風の影響を多少心配しての配慮だった。安曇支所駐車場(無料、届け等の連絡不要。自己責任で駐車可能)で仮眠中に雨が降ったが翌朝出発時には雨は上がっていた。
安曇支所前バス停からバスに乗り上高地に向かった。雨は徐々に降り始め、上高地到着時には本降りの雨になっていた。それでもまだ雨は上がると信じた。雨が降っているのに登山者や観光客で静かに賑わい、私たちもカッパを着込み徳本峠へと向かった。久しぶりに歩く上高地は懐かしく、小梨平のキャンプ場、明神へと歩きながら昔登山に来ていた頃を思い出していた。カッパを叩く雨音が強く、歩きながらの会話もままならず黙々と歩く。「さっちは楽しいのだろうか。きっとつまらないだろうな。」などと想像しながら歩いているうちに徳本峠に到着した。あっと言う間だった。

徳本峠

テント場にはテントが一張り張られていた。私たちもテント泊予定だったが、土砂降りの雨に濡れ寒く、テントを張る元気も気力もモチベーションも無くなっていたので徳本峠小屋へ泊めてもらうことにした。小屋番と島々谷から峠越えの話をしたら、台風の影響で沢が決壊しているかもしれないので、明日の下山に利用するのは控えた方が良いとのアドバイスがあった。無事に山小屋に泊まれ、やることも無く午後はのんびりとお酒で温まりながら夫婦水入らずで、山談義を楽しんだ。

8月17日(土)
徳本峠小屋(6:20)-ジャンクションピーク(7:18)-徳本峠(8:15)-上高地=島々安曇支所前(11:15)

17日は雨も上がっていたので峠から島々谷への下山も考えたが、小屋番のアドバイスに従うこととした。知った道、先人の経験と知らない道、無知から起こるリスクは計りしれない。このまま、上高地に下山するのももったいないので、霞沢岳への途中にある2428mのジャンクションピークまで行ってみることとした。山小屋に泊まっていた私たちより年配のお姉さまたちが、楽しそうに会話をしながら登っている。霞沢岳まで往復し今日も峠に泊まる予定だとのこと。私たちも時間が取れるようになったら「いっぱい山に登ってやるぞ!」と思いつつ上高地まで下山した。

(記 そうべえ)

夏山合宿A隊 種池~白馬鑓温泉分岐(八峰キレット・不帰キレット)

期 日:2019年8月10日(土)~8月13日(火)
参加者:Lそうべぇ、コバヤン、オヨシ、ヒー

8月10日(土)
橋本(4:30)=扇沢登山口(9:30~10:00)-柏原新道-種池山荘(14:00)

オヨシ宅に4時30分集合し、圏央道、中央道と繋ぎ扇沢登山口へと向かう。お盆休みの初日でもあり渋滞を気にした。案の定八王子JCTで渋滞に捕まった。B隊は5時に橋本駅を出発しているはずなので、渋滞情報を共有のためメールで配信した。渋滞は八王子JCT付近のみでその後は順調に扇沢登山口に到着した。扇沢駐車場の手前から車道の脇に登山客の車と思われる車列があり、駐車場を確保できるか心配したが登山口の真正面に1台分のスペースが空いていた。すかさずそこをキープする。反対側で女性が1人こちらを見ているとオヨシが察知する。この女性とはその後、柏原新道の登りでこの女性を追い越す際に声をかけられた。「ラッキーだったわね。3分ほど前にそこの場所が空いたのよ。私たちは、登山口から遠く離れた場所に止めなければならなかったので、羨ましくて見ていたの。」とのことだ。渋滞には遭ったがこれで帳消しだ。
10時丁度に登山口を出発。登山口には夏山相談所が開設されていて、登山客それぞれに計画書の提出の有無や行程の確認を行っていた。我々も行き先を告げ、先を急いだ。

柏原新道

柏原新道は歩き始めの1時間30分ほど傾斜がきつく大変だ。荷物が重いのか大汗をかき始めた。コバヤンも大汗をかいている。オヨシとヒーさんは涼し気に歩いている。年齢を理由にはしたくはないが、もしかしてそうなのかもしれない。日々の鍛練・準備不足であることは否めないだろう。2000mを越えたあたりからそうべぇのペースが落ちはじめた。経験をしたこともない大汗をかいている。まるで水をかぶったようだ。水分補給をしながらの行動であるが、補給が間に合わない。コバヤンもすごい汗だが、その大汗を笑い飛ばし快調そのものだ。3人から15分ほど遅れて種池山荘前に到着した。

種池山荘手前

そうべぇのこのバテ様では予定の冷池まではとても行けない。また猿倉までの行程に不安があるので3人に相談した。幾つかの案があがり相談の結果本日は種池で幕営し、明日11日の行程は五竜山荘まで行くことに決めた。

爺ヶ岳を臨む

決めれば早い。早速今夜の寝床の準備のため種池のテント場でテントを張り、山荘前で夕食の準備を開始する。同時に宴会もスタートする。ビールを山荘で購入し飲む。冷たいビールを飲むと少しずつ元気が出てきた。軽い熱中症だったのかな?そして夕食の「チリコンカン」で体調も回復してきたので少し安心した。明日は予定通り五竜山荘のテント場までは行けるだろう。18時に就寝した。メンバーを不安にさせてしまったことは反省しなければならない。

8月11日(日)
幕営地(3:30)-冷池山荘前(5:20~6:20)-布引山(7:15)-鹿島槍ヶ岳南峰(8:15)-キレット小屋(10:15)

起床は午前2時30分、風もなく山は静かであり、眩いばかりの星明り。今日の天気が約束されているようだった。朝食は冷池山荘前で摂ることにして、準備出来次第出発した。

夜明け前の出発

ヘッドランプを照らしながらまだ眠っている山々の陰影を眺めながら進む。爺ヶ岳の登りはゆっくりと歩を進めていく。先頭はオヨシ、続いてそうべぇ、ヒーさん、コバヤンの順だ。爺ヶ岳山頂は春合宿でB隊(爺ヶ岳東尾根隊)が踏んでいるので、今回は山頂を巻くことにして冷池山荘へと急いだ。午前4時、夜が明けはじめる。

夜明けの雲海

まさに「暁」とはこのことだろう、とても厳かである。雲海に沈む谷や里はまだ目覚めるには早すぎる。稜線上から眺める景色、雲海の果ては深紅からオレンジ色に徐々に移り、山が目覚める。私たちは歩くことも忘れ、その瞬間を見守った。実際の目で見る風景にはかなわないとわかっていても、カメラを構えシャッターを繰り返した。

冷池山荘と鹿島槍ヶ岳

冷池山荘前には5時20分到着した。2時間ほど歩いてきたので、朝食が恋しくなった。小屋前で朝食の準備をする。「パスタとスープ」だ。山でパスタを茹でるのは初めての経験であり、茹でた後のお湯をスープとしていただくのは妙案であった。山でパスタを食べたいと思っていたが、茹で汁の処理を考えるとどうしても躊躇してしまう。食担の工夫が感じられる。お腹も満たされ、朝の陽ざしをいっぱいに浴びながら布引山へと向かう。冷池山荘からしばらく登るとテント場がある。山荘からテント場までは5分ほどの距離。このテント場を利用する場合夜のトイレなどに多少の不便を感じるだろう。

晴天の空と立山連峰

布引山までの稜線歩きは楽しい。布引山からは鹿島槍ヶ岳の南峰と北峰が臨め、双耳峰の立派な山容だ。

布引山にて休憩

アップダウンを繰り返しながら鹿島槍ヶ岳南峰には8時15分に到着した。

鹿島槍ヶ岳山頂
鹿島槍ヶ岳からの稜線

しばらく展望を堪能し、これから向かう八峰キレットに思いを馳せ、ヘルメットを着用し気を引き締めた。

八峰キレットへ

キレットとは漢字では「切戸」と書き、山と山をつなぐ尾根が深く切り落ちている場所のことを言う。通常の尾根よりも細く断崖絶壁もあるキレットは、難易度も高く、岩登りの基本的な技術が必要な場所でもある。八峰キレットは鹿島槍ヶ岳南峰と五竜岳にある難所。キレット小屋から五竜岳までは長い岩稜帯の連続であり、鹿島槍ヶ岳南峰からキレット小屋までは特に難所とされ、特にルートを下りにとった場合は更に難易度が上がる。私たちは南から北に向かうルートを取っているので、慎重に行動しなければならなかった。

慎重にトラバースする

随所に鎖が張られているのでザイルを使うことはなかったが、鎖に頼りすぎると自分の体勢を見失ってしまうので、岩登りトレーニングや救助トレーニングなどで培った三点確保をしっかりと意識しながら通過した。メンバーとは岩登りトレーニングなどで一緒に練習をしているので、お互いの技量は把握している。この点では信頼関係はできていて、安心して行動を共にすることができた。

五竜岳を臨む
八峰キレットの核心部を通過

しかし高度感があるので常に緊張していた。(合宿後であるが、よほど緊張していたのか口内炎が随所にできていた。これはストレスだと思う。口内炎は4,5日で消えた。)キレット小屋には10時15分に到着した。鹿島槍ヶ岳南峰からの降りの緊張感がキレット小屋に到着しほっとした。
小屋で購入しコカ・コーラを飲む、これが実に美味い。実は昨日、種池山荘前でコバヤンがコカ・コーラを美味そうに飲んでいる光景がよみがえり、おもわず購入した。これが本当にうまいのだ。小屋前で休憩中に長野県警山岳パトロール隊員と会話をした。今日の行程が五竜山荘でテント泊の旨を伝えると、「これからの行動ではぎりぎり間に合うかもしれない。しかしテント場の確保が難しいだろう。夏山シーズンであり、人気の山なのでテント場は12時前後でほぼ満杯となる。夕方に到着の場合は山小屋になる事を覚悟したほうがいい。また、今日は発雷の可能性もあるので注意が必要だ。」などのアドバイスをいただいた。鹿島槍ヶ岳南峰からの降りでの緊張、ここから五竜岳へ向かう岩稜帯での緊張を続けることのリスクを考え、翌日の行程も唐松山荘前まで行ければ計画は遂行できると判断。また予備日もあるのでここは無理をせずにキレット小屋にて宿泊することにした。ここにはテントサイトが無いので小屋泊となる。小屋番に宿泊を依頼すると、予約が前提であるため宿泊については了解してもらったものの、案の定注意された。テントサイトが無い山小屋の場合、キャンセル前提で宿泊予約はすべきなのか。寝場所に案内され、明日からの計画を練り直した。小屋のビールは高いが、冷たくてうまい。お昼から続いた宴会は、夕食へと移り、18時には就寝した。

8月12日(月)
キレット小屋(4:10)-五竜岳(8:15)-五竜山荘(9:30)-唐松山荘(12:30)

2時30分起床。いびきや寝言が入り乱れ、寝た気がしない。他の宿泊客も起きはじめ、出発に向けて準備をはじめていた。テントをたたむ必要が無いので、出発にはそれほど手間がかからずに済んだ。4時10分にヘッドランプを点灯させ出発する。昨日の発雷の可能性については、夜中0時頃に遠雷が聞こえたのみだった。雨は降らなかったので岩も濡れていない。朝露に湿っているくらいだ。空には満点の星、今日も天気がよさそうだ。

八峰キレット後半へ

岩稜帯の登山道を進んでいく。昨日と同じように稜線上にて日の出を迎えた。

雲海と朝日
ご機嫌なコバヤン

光景は変わらないが、厳かであり何度見ても飽きのこない瞬間である。明るくなるにつれ進む先々、全容が視界に入ってくる。

五竜岳手前の岩稜帯

五竜岳もどっしりとした山容で構えている。五竜岳の登りが少し大変そうであるが、そんなに遠くは感じなかった。五竜岳山頂に8時15分到着した。

五竜岳山頂

山頂では携帯電話の電波が入ったので、B隊の状況などが気になるのでメールを確認した。入山2日目に隊員1名が体調不良により、ダイヤさんとともに下山したとの知らせがあった。親不知までは長丁場となるので、早々に判断ができて良かったと思う。

五竜岳からの稜線

しばらく展望を堪能し五竜山荘へと向かった。しかし、五竜岳はどっしりとしていて大きいなと感じた。山荘でコカ・コーラを飲む。味を覚えてしまったようだ。唐松岳山荘には12時には到着したいと思い、オヨシにテント場の確保のため、少々急いで歩くように指示したが、韋駄天のようにアッという間に目の前から消えてしまった。今までのゆっくり目のペースで抑えられていた気持ちの反動なのだろうか。または、テント場を確保しなければならないという使命感からなのだろうか。
ヒーさん、コバヤン、私の3人の順でゆっくりと進んでいく。コバヤンのかかとが気になった。両方の靴のかかとが「ぱかぱか」しているのだ。いわゆる、靴のかかと部分がはがれている。どれくらいもつのか心配になり大黒岳で休憩中に尋ねると、本人も自覚していた。唐松岳山荘前には12時30分に到着。オヨシは11時45分に到着し、テント設営場所を探していたとの事。唐松岳の無雪期テント場は、唐松岳山荘の北西斜面があてられる。私たちが設営した場所は、小屋から4,5分ほど下ったところだ。小屋との往復に難儀した。テント設営後明日の予定について確認を行った。コバヤンの靴のかかと剥がれが気になり、明日の行程に支障が無いかを検討した。コバヤンの申告により、大事に至る前に明日は八方尾根を下り、扇沢で車を回収し、猿倉まで迎えに行くという案が出た。予備日を使い天狗山荘前、または白馬鑓温泉にて幕営を考えていたが、この提案により、予備日を使わずに猿倉まで下山できるだろうと考えた。不要となる共同装備もコバヤンに預け、身軽になって不帰キレットを越えることができる。計画の変更をメンバーで了承し、行動に移した。18時には就寝した。

8月13日(火) そうべぇ、オヨシ、ヒー
幕営地(4:35)-唐松岳(4:55)-不帰キレット(6:55)-天狗ノ頭(9:10)-天狗山荘前(9:20~9:50)-白馬鑓温泉(11:30~11:50)-猿倉登山口(15:05)

2時30分ごろ、ごそごそと起きだす。朝食の準備に取掛りながら、一杯のコーヒーを飲む。共同装備としてツエルトの代わりにフライシートを持ち、その他縦走に不要な装備はコバヤンに渡した。キレット通過に荷物を軽くできることは大きなメリットとなる。テント場でコバヤンに見送られ、山荘前に向かう。山荘にて水の補給やその他出発の準備を整え4時35分に唐松岳山荘前を出発した。ここから唐松岳までは20分ほどの登りである。小屋泊の登山客であろうか、軽装で朝食前に日の出を迎えようとして山頂を目指しているのだろう。唐松岳山頂には4時55分到着。

唐松岳山頂
最終日の日の出

多くの登山客が日出を待ちこがれていた。私たちも、山頂からの景色をしばらく堪能した。朝陽が上りだすと剱岳が薄いピンク色に染まり始める。今日もいい天気だ。

立山連峰の目覚め

唐松岳山頂からは、これから進む行程が良く見渡せた。天狗ノ頭まではすぐそこにあるようにも見え、近いなと感じた。しかし、アップダウンを繰り返さなければならず、山々の斜面も切れ落ち厳しそうだ。通過には慎重に行動しなければならないと気を引き締めた。
不帰キレットは唐松岳から天狗ノ頭に至る尾根で、コースタイムも5時間ほどの長丁場となる。天狗ノ頭からの急坂「天狗の大下り」を降りた付近は不帰キレットと呼ばれている。

不帰キレット

難所は、これよりも南側の二峰と一峰の間付近が核心部となる。ほぼ垂直な崖を降りなければならないので慎重さが求められる。三峰、二峰と慎重に進んでいく。

二峰南峰

危険個所には鎖が張られているので、ザイルを出す必要はなかった。ただ、鎖を頼りすぎると自分の体勢が作れない危険性もあるので、頼りすぎないように注意する必要がある。一峰には6時55分到着した。

不帰キレット核心部
緊張感が続く

核心部が通過できたので一安心した。

ご機嫌なそうべぇ
不帰キレットを振り返る

不帰キレットから天狗ノ頭までは急登が続く。「天狗の大下り」と名前がついているだけに、危険ではないが登りは険しい。登りきると広い大地が目の前に広がった。

天狗の頭付近
冬に登った白馬鑓ヶ岳

コマクサの群生、トンボの群れ、風わたる大地を飛ぶトンボは涼しげであり優雅だ。天狗山荘には10分ほどで到着、水の補給をして休憩する。水は残雪から供給されているので冷たくておいしい。ここから先は危ない個所は無いので、気持ちも落ち着く。30分ほど休憩をして鑓温泉に向かった。

鑓温泉分岐

鑓温泉分岐からの急な下りは、南斜面であるため日差しも強く、高度が下がるにつれ気温も上昇し蒸し暑い。

鑓温泉前のお花畑

この状態で鑓温泉までの歩きは疲れた。鑓温泉は、こんなところ温泉が湧いているのかと思うような場所だ。宿泊客、テント泊している人たちは登山客というよりも、山屋ではなく、温泉を楽しみに来ているように見えた。温泉は露天であり丸見え、入浴している人たちは気持ちよさそうだ。もちろん内湯もあるそうだ。夏山シーズンではなく、冬か残雪の時期に温泉を目的で来てみたいと思った。メールを確認するとコバヤンはすでに車を回収したとの事。靴の状態や荷物の量を心配したが、無事に下山できて良かった。私たちも15時には猿倉に下山するとメールにて連絡を入れる。12時前に出発した。ここからの3時間が私にとっては非常につらかった。南側の斜面、気温の上昇、湿度の高さ、これらが体力を消耗させた。なんど弱音を吐いたか。オヨシ、ヒーさんは涼しい顔をして歩いている。悔しいが、これも現実でありしょうがないと諦める反面、体力づくりのトレーニングを怠ってはいけないと反省する。後日談ではあるが、オヨシは膝に痛みがあり、ハイペースでの下山で猿倉まではやはりしんどかったようだ。ポーカーフェイスであるため、気がつかなかった。涼しい顔で楽しんでいたのは、ヒーさんのみであったようだ。
15時5分に猿倉登山口に到着した。

猿倉登山口

バス停前の茶店にコバヤンを見つけた。再会と握手、メンバーの協力のもとに夏合宿を成功で終えたことに感謝した。

(記 そうべぇ)

8月13日(火) コバヤン(八方尾根下山)
幕営地(6:00)-八方池山荘(8:30)-ロープウェイ乗場(9:00)=扇沢駐車場(10:20)=猿倉山荘前(14:00)

メンバーを見送り、6時にテント場を出発した。靴のソールをテープにて補修し歩くが、途中で完全に剥がれた。何度もテーピングを繰り返し八方池山荘前まで無事に到着した。
八方文化会館前でタクシーを拾い扇沢駐車場に向かい、車を回収した。猿倉に向かう途中で大町薬師の湯にて汗を流し2時間ほどくつろぐことができた。くつろぎながらメンバーに心の中からエールを送った。13時に薬師の湯から猿倉に向かう。14時に猿倉に到着。そうべぇさんからは15時に到着するとのメールが入っていたので、どのくらいの誤差で到着するのか楽しみに待っていた。15時5分に再会、到着時間にほとんど誤差のないことに感心した。無事に再会できたことをみんなで喜んだ。

完登に乾杯

(記 コバヤン)

会山行A隊 種池~針ノ木峠

期 日:2019年7月6日(土)~7月7日(日)
参加者:Lそうべぇ、コバヤン、ヒー

7月6日(土)曇り
扇沢駐車場(9:25)-種池山荘前(13:10)-岩小屋沢岳(15:10)-新越山荘泊(16:00)

B隊を七倉まで送り扇沢駐車場には9:00到着した。身支度を済ませ扇沢第2駐車場を9:25に出発。5分ほど歩くと柏原新道の登山口に着く。登山口近辺の駐車場はすでに満杯。天候は曇り、周りの山々は雲の中に隠れ顔を出しそうにもない。天気予報は曇りを告げているが下り坂であることは予想できる。登山口から30分ほど歩くと汗が滝のように流れ始めた。北アルプスの7月初めは梅雨も開け爽やかなイメージであるが、樹林帯の中は風が吹かなければ蒸し風呂だ。今回は山小屋泊まりなので荷もそれほど重くないはずだ。この汗のかきかたは、暑さだけのせいではなく体力の低下が招いたことなのだろうか。コバヤンも同じく大汗をかいているが、ばててはいない。ヒーさんは楽しそうだ。加齢であり、仕方のないことなのだろうか。80歳までは今と変わらずに元気で山を歩きたいと思っている。体力が落ちないようい日々の生活を大切にしなければならないと反省する。八ツ見ベンチ10:15、2280m付近12:15。そうべえが遅れる。弱気の虫が騒ぎ始める「私は種池山荘泊まりとして、明日は柏原新道を下山しよう」などとくだらないことを考え始めた。コバヤン、ヒーさんから遅れること10分、13:10に種池山荘前に到着した。弱気の虫を飲み込み先に進む。ここから2時間30分ほどで新越山荘だから、もう少しの辛抱である。前を歩く2人と差が広がる。2人は差が広がらないように要所にて私を待つ。

稜線にて小休憩

15:10岩小屋沢岳を通過、16:00に新越山荘に到着。種池山荘前から新越山荘までの稜線歩きは曇りで展望はなかったが、足元にはイワカガミの群生、北アルプスは花の季節を迎えたのだ。これからいろんな高山植物が咲き乱れるのだろう。花が気持ちを落ち着かせてくれた。

ツガサクラとイワカガミの群生
他にも高山植物が咲いていた

山荘に到着したらすっかり元気になった。睡眠不足と長時間の車の運転、これも体調に影響したのかもしれない。車の運転は躊躇せず交代するようにしよう。山荘は小屋明けをしたばかり、天気も下り坂なのでキャンセルも出たとのこと。我々のほか3パーティのみで静かだ。八畳間の部屋に3人、なんと贅沢なことだろう。最盛期には20人ほど詰め込むそうだ。自炊後、20時消灯。8時間ぐっすり寝た。
新越山荘は、感じの良い山小屋だ。スタッフの対応は親切、部屋も清潔。自炊部屋は少し狭いと感じた。トイレはトイレットペーパーを便器に捨ててもOK。処理は燃やすので紙類があったほうが効率よく処理できるとのこと。トイレ事情は山小屋ごとに異なるが、登山者としては一番の関心ごとであろう。

7月8日(日)雨
新越山荘(5:20)-鳴沢岳(6:00)-赤沢岳-スバリ岳-針ノ木岳(10:00)-針ノ木峠(11:15)-扇沢駐車場(14:15)

午前4時に起床。とてもぐっすり眠れ、コバヤンの鼾や寝言も気にならなかった。外はガスっており、雨まじりだ。各自で用意した朝食を簡単に済ませ、身支度後5時20分に新越山荘を出発した。霧雨なので雨具を着込み歩く。もちろん展望は得られない。進む方向の右側(北)には名だたる峰々が並んでいるはずだ。展望がない分、足元の高山植物を見ながら歩けたことは儲けもんかもしれない。雷鳥も現れ、我々が歩く先々をまるで道案内をしているように登山道をゆっくり進んでいる。お尻を振りながら歩く姿はかわいい。出発は予定より20分遅れたが、鳴沢岳には予定の6時に到着した。

鳴沢岳山頂

展望がないのでプレッシャーとなるアップダウンを気にせず歩け、気付いたら目的の山頂に到着している、こんな感じだ。

スバリ岳山頂

針ノ木岳も予定通り10時に通過。ここから針ノ木峠までが今回の山行の核心部だった。残雪がいつもの季節よりも多く残り、ステップは切られているが雨のためコンディションが悪い。アイゼンを装着しても効きが悪く、足元がおぼつかない。滑ると谷底まで落ちてしまうので慎重に通過した。

慎重に雪渓を歩く

針ノ木峠には11時15分に到着。コバヤンと冗談交じりに、B隊と会えると感動だなと話をしていた時、「何か声、聞こえません?」。「まさか。」しばらく耳を済ませていると、本当に聞こえてきた。人影も見えてB隊と奇跡的な合流だった。ちょっと感動したな。B隊は七倉から船窪を経由し蓮華岳から扇沢を目指していた。B隊の幕営地から針ノ木峠までのコースタイムはA隊(我々)とほぼ同じ。もしかしたら出会うかなと思っていたが、まさか本当に出会うとは…ちょっと感動的です。

針ノ木峠で合同記念写真

針ノ木峠で合同の記念撮影を行い、一緒に針ノ木雪渓を下り無事に扇沢へと下山した。14時15分だった。

(記 そうべぇ)

会山行 美ヶ原温泉~車山~蓼科山~北横岳

期 日:2019年6月1日(土)~6月2日(日)
参加者:Lそうべぇ、なべたけ、こま、みの、オヨシ、ヒー、メイメイ、おとっつあん、いずっこ

コーノさんが4月下旬に松本市役所安曇支所前から美ヶ原温泉(特養老人ホーム)まで繋いでいただいたおかげで、北八ヶ岳・美ヶ原のコース設定を立案することができた。単独で行うと何度も回数を重ねなければならないが、人数が揃えば複数パーティに分け、なお車を最大限活用することでロングトレイルをこなすことができ、少しずつ距離が延びていることが実感できた。宿泊場所は、美ヶ原近辺のオートキャンプ場を活用することにした。
9名のメンバーは車2台に分乗し北八ヶ岳ロープウェイ山麓駅に向かった。天気は快晴でこれからの楽しい山行を約束しているようだ。

スタート地点のロープウェイ駅前

出発前北八ヶ岳ロープウェイ山麓駅前で撮った集合写真のチーフリーダの笑顔が印象的だ。

(記 そうべぇ)


6月1日(土)快晴
A隊:Lそうべぇ、みの、ヒー
北八ヶ岳ロープウェイ山麓駅(9:30)=山頂駅(10:00~10:10)-北横岳南峰(11:05)-双子池(13:10)-双子山(13:50)-大河原峠(14:05)-将軍平(15:17)-蓼科山7合目駐車場(16:10)

ロープウェイを使い山頂駅まで移動する。山頂駅からが今回の出発地点となる。山頂駅付近は圧倒的に観光客が多く、坪庭を散策していた。しかし、今年は4月に入ってからも雪が降ったこともあり、残雪が例年に無く多く残っているようだ。坪庭散策コース内にも雪が残り、ハイキング気分で来ている観光客は足元の不安を隠せなかった。北横岳に向かっている途中に携帯の電話が鳴った。オヨシからだ。B隊の起点となる大河原峠への道は落石のため通行止めであるとのこと。急遽、蓼科山7合目駐車場に変更することにした。その分、大河原峠から2時間を超える残業が科せられることになった。気持ちをしっかりと持ち、残業することをメンバーに承認していただいた。北横岳山頂からは蓼科山がよく見え、振り返ると赤岳をはじめ八ヶ岳の主たる峰々が連なっている。素晴らしい眺めである。

北横岳山頂

北横岳からは大岳方面に向かう。途中、大岳山頂には向かわず双子池に降った。大岳分岐から双子池までは厳しく、急斜面に残雪が残り苦労した。2190m付近の天狗の露地あたりは大岩がゴロゴロと変化に富んだ山容に満足した。ここから30分ほどで双子池に到着した。我々のほか1パーティの登山客がいるのみで、双子池はひっそりと静かだった。ここから双子山に登り返し大河原峠に下り、そして蓼科山の将軍平まで登り、そして7合目駐車場まで下る。考えただけでも「長い!」、とにかく長いので気合を入れないと嫌になる。双子山は草原状のなだらかな山稜だ。のんびり歩ければ気持がいいのだろうが、先を急いだ。大河原峠には14時に到着した。「車があるじゃんね!」、なんと駐車場には車が数台止まっていた。当然、聞きましたよ、車に乗っている方に「どちらからこられました。落石のため通行止めと聞いているのですが」と。蓼科スカイラインを佐久側から入ったとのこと。落石でも通過できる裏技でもあるのかと期待したが、それもそうですよね、道は繋がっている。「さて、気合を入れもうひと登り、将軍平まで登りましょう。」と掛け声をかけ出発。みのさんの口数がだんだんと減ってきたのが気になりました。ヒーさんは元気ですね。大河原峠から将軍平の登りでも残雪があり、シーズン中の雪の多さを物語っていた。佐久市最高地点2380mを15時に過ぎ、将軍平に到着した。ヒーさんの飲むコーラが魅力的だった。おいしそうだったが少し寒かったので、購入するのをやめ持っていた水を飲んだ。将軍平からは下りのみ、でも石がゴロゴロで気をつけなければ転ぶ。16時過ぎに7合目駐車場に到着した。オヨシの車を回収し、B隊下山場所とC隊出発場所となっている白樺湖駐車場へと向かい、B隊と合流した。そして、C隊の本日の終点となる和田峠まで車2台で行き、合流する。和田峠にて無事合流できた。3隊の時間配分も良く、合流地点で待ちすぎることなく行動できた。キャンプ場に到着した時間は19時と遅くなったが、充実した一日であった。

(記 そうべぇ)


B隊:SLオヨシ、なべたけ、おとっつあん
蓼科山7合目登山口(10:50)-蓼科山(12:40)-すずらん峠(14:20)-白樺湖観光センター(15:30)

北八ヶ岳ロープウェイ山麓駅の駐車場で記念撮影をした後、それぞれのパーティは目的地へ。我々は大河原峠に駐車して蓼科山を目指すルート。将軍平から上に残雪があるとの情報を気にしながら向かっていくと、七合目登山口付近に通行止めのバリケードが置かれていた。まだ冬季閉鎖が解除されていなかったのだ。既に多くのパーティが駐車していたが、何とかスペースを見付けリーダーに連絡を取る。双方で電波が悪く、10分ほどして電話が繋がった。状況を伝え、我々は七合目登山口から登ることになり、代わりにA隊が大河原峠から将軍平を経由して七合目登山口まで追加で歩いてもらうことになった。他に手段がないため仕方がないことではあるが、とても心苦しく申し訳ない気持ちでいっぱいだった。気を取り直して登り始める。1時間ほどで将軍平に到着。蓼科山荘のベンチで一休みし、続くガレ場を登る。事前に得ていた情報の通り、日が当たりにくいエリアには残雪があった。軽アイゼンをつけるほどでもないため、焦らずに山頂へ向かう。蓼科山頂ヒュッテには人だかりできていたが、気にせず通り過ぎてお馴染みのゴロゴロ火口へ。

蓼科山山頂

中心部には何やらアンテナが立っている。どうやらアマチュア無線を楽しんでいるようだった。記念撮影と食事を終え、すずらん峠に向かって下山。ビーナスラインでは7キロほど歩いて集合場所の白樺湖観光センターへ。途中、バギーやラジコンなど大人向けの遊び場があったが、週末だというのに客入りは良くなかった。会話に夢中になって歩いていたせいか、いつの間にか観光センターを通り過ぎていた。他のパーティはまだ到着していなかったので、観光センターのベンチでくつろぎながら会話の続きを楽しんだ。

(記 オヨシ)


C隊:SLこま、メイメイ、いずっこ
白樺湖観光センター駐車場(10:37)-車山山頂(12:30)-蝶々深山(13:20)-鷲ヶ峰山頂(15:45)-和田峠(17:00)

白樺湖観光センター駐車場に車をデポし、蓼科山をバックに出発前の記念撮影を済ませ出発。なだらかに上るビーナスラインを時折乗用車が結構なスピード通っていく。危険の無いよう一列で30分程歩くとビーナスラインと並行する登山道入口へと入って行く。ビーナスラインを左に見ながらなだらかな笹の山腹を徐々に登る。車道がだいぶ下に見えてくると信濃路自然歩道の分岐に差し掛かる。ここで初めて夫婦ずれの登山者に行き交う。すり鉢状となった地形の底にあるロープウェイ乗り場を左手に見ながら反時計周りでほぼ平坦な幅の広い遊歩道を進む。周囲は笹の草原となっており背の高い木々もなく、遠くまで見渡せる。下の駐車場には20~30台の車が止まっており、大勢のハイカーの山腹や頂上を歩く姿が見える。頂上へ続く階段は今回の行程で一番の急勾配。特に直下の階段は幅の広い岩を並べ整備されているが、逆層ぎみで表面が滑る為、下りは注意。

車山山頂

車山山頂(1925m)でエネルギー補給と記念撮影を済ませ、先ほどの階段を20分程下り蝶々深山への分岐へ。ここから先は如何にも霧ヶ峰という風情の広々とした草原を物見石まで約40分。こちらへ向かうハイカーは殆どおらず先に行く単独ハイカーのみで、時折数名のハイカーとすれ違うだけ。物見石で小休止。ここからは八島ヶ原湿原へ続くジグザグの登山道を30分程下り、湿原の左手を湿原に沿って木道を30分歩くと鷲ヶ峰~和田峠への分岐となる。50分程急登を登り鷲ヶ峰(1797m)へ到着、記念撮影をして早々に出発。

鷲ヶ峰山

緩やかに下りながら50分程で登山道出口に到着。

和田峠

車道を右に200m程下り広い駐車場のある土産物屋前でピックアップを待つ。

(記 こま)


6月2日(日)晴れ
A隊:Lそうべぇ、オヨシ、おとっつあん
三峰大展望台(7:25)-鉢伏山(10:05)-宮入山-高遠山(11:49)-美ヶ原温泉・特養老人ホーム(13:28)

私たちA隊は、キャンプ場から三峰大展望台まで車で移動し、ここを起点として7時25分に出発した。今日は約25kmのトレイルランとなる。草原状の稜線を走ること、なんと気持がいいことだろうと想像していたが、これが厳しかった。当然下りはハヤテのごとく疾走できるのだが、登り返しでは心臓がばくばく、口から飛び出るのではないかと思うほどきつかった。前を行く二人とは距離が離れる一方だ。オヨシ、おとっつあんはなんともないのだろうか。それでも、山の中を走ることの爽快さは走ってみなければわからないと思う。このコースは美ヶ原トレランのコースにもなっているようだ。毎年大会が開かれている。鉢伏山まではアップダウンの繰り返しだが気持ち良いルートである。この次はゆっくりと歩きたいと思う。

鉢伏山山頂

鉢伏山からはひたすら下る。前鉢伏山、宮入山、高遠山と三角点があるようだが、宮入山の山頂は見つけることができなかった。高遠山を過ぎたあたりから登山道が見当たらなくなる。鉢伏山から美ヶ原温泉までのコースは今ではあまり利用されていないようだ。地図上にもコース設定されていない。見当をつけて尾根スジを下ると「水番城跡」搦手筋方面のサインがあった。その昔に水を引くために建てた小屋でもあったのだろうかと想像する。12時45分に里に下山することができた。すでに下山している2隊に下山の連絡を入れると、美ヶ原温泉の立ち寄り湯に入っているとのこと。

美ヶ原温泉近くの特養老人ホーム

私たちは、特養老人ホームを探しながら4kmほどの道を歩き、写真に納め、みんなが待つ立ち寄り湯に向かった。

(記 そうべぇ)


B隊:SLこま、メイメイ、いずっこ
和田峠(7:40)-三峰山(9:35)-扉峠(11:55)

前日にピックアップされた駐車場で車を降り、2日目の行程が始まる。駐車場前のビーナスラインを渡り、旧スキー場跡の緩斜面を10分登ると中山道古峠の分岐に出る。ここから北に進路を取り目指すは扉峠、約4時間の緩やかな行程。右眼下にビーナスラインを見下ろし、笹で覆われた登山道のアップダウンをワンピッチ約1時間で2ピッチ。小高いピークの本日最高峰三峰山(1887m)に到着。振り返ると笹原の中に歩んできた道跡がくっきりと見渡せる。エネルギー補給を済ませ出発。40~50分下ると眼下に見えていたビーナスラインとほぼ同レベルまで高度を下げる。車道と並走するように林の中を歩くと、登山道は終わり車道に出る。

扉峠

車に気を付けながら歩道を10分、ゴールの扉峠駐車場に到着。デポしてある車に戻り一休み、お疲れ様でした。

(記 こま)


C隊:SLなべたけ、みの、ヒー
扉峠(7:50)-茶臼山(8:55)-王ケ頭(10:45)-センターハウス駐車場(12:00)

茶臼山では八ヶ岳、尾根道からは南アルプスが見えた。茶臼山から美ヶ原間は牧場の中を通る。柵を越えて遊歩道に出る感じがなんとも言えなかった。

王ヶ頭

美ヶ原高原ホテルで、みんなでソフトクリームを食べた。ソフトクリームを食べたら身体がとても冷えたが、とても美味しかった。ゴールに指定されている“センターハウス”とは、そもそもどの施設のセンターハウスなのか確認をし忘れ、合流できた時にはホッとした。

(記 ヒー)

焼山登山口〜石老山~相模湖駅

期 日:2019年5月11日(土)
参加者:そうべぇ

5月11日(土)
橋本駅北口(7:48)=三ケ木バスターミナル(8:00~8:10)-焼山登山口バス停(9:15)-石砂山(10:20)-石老山(12:00~12:08)-嵐山(14:00)-相模湖駅(14:30)

前回の50周年記念山行は、丹沢主脈を走破し焼山登山口バス停からバスで帰宅した。
春の親睦山行では、相模湖から景信山を周回しているため、このバス停から相模湖駅までをどのように繋ぐかあれこれ考えた末に、下山時刻を想定しバス数の少ないバスでの帰宅は選ばず相模湖駅から電車で帰る事として相模湖駅に下山する事にした。そうすると登山口は当然「焼山登山口バス停」となるのだが、これまた横浜から公共機関を使いこのバス停まで向かうには至難の技である事が分かった。1日数便しか通らないバス。不便としか言いようがない。橋本駅から三ケ木バスターミナルまでは1時間に数本単位で運行されているので、バスターミナルまでバスで行き、「焼山登山口バス停」までは走る事にした。
ずいぶん昔に1泊2日で丹沢主脈縦走時に「焼山登山口バス停」まで歩いた事はあるが、ここから石砂山、石老山までのコースは初めて歩く。焼山登山口から石砂山登山口までは静かな田舎町、ここも東海自然歩道だ。石砂山は標高577mと高くはないが登りはきつい。地図には「ヤマビル注意」と記載されている。ヤマビルは人の息に反応するようなので、なるべく息をせずに歩く…、 なんて無理な相談である。ではヤマビルが足にくっつかないように早足で歩く、走る。でもヤマビルは木の上からでも落ちてくるらしい。なんとも対処方法がないようなので、ヤマビルに出会わないように祈りながら歩く事にした。

石砂山

石砂山から一旦下山し、篠原集落の石老山登山口から山頂に向かう計画だったが、登山口である標識を見過ごしてしまった。畑の中の道をどんどん進み、家もなくなり山裾にぶつかった。それでも人が歩いた跡があったので、登山道であると疑わずに先に進んでいった。でも、なんとなく様子が一般の登山道でないような気がしてきた。倒木があり、沢にぶつかり、登山道もほとんど消え、踏み跡が少しついているのみ。「登山道を外したな」と思った瞬間だった。林野作業用の踏み跡である事に気がついた。急な尾根筋に立ち並ぶ杉の気には赤テープが巻かれている。枝を落とした跡もある。戻ろうとも考えたが、地図と方角からするとこの尾根筋を登れば登山道とぶつかると思った。踏み固められていないざれた北斜面の尾根筋は足元が流れ歩きづらい。30分ほど悪戦苦闘が続いたが無事に正規の登山道に出会う事が出来た。山は「思い込み」で歩いてはいけないなと思った。
石老山の山頂は多くの登山客、人気の山である事がうかがえる。

石老山

石老山山頂から顕鏡寺を経て嵐山、相模湖駅まで向かう。このルートは自然歩道巡視活動の参加やハイキング等で歩いた事があり、道迷いもせずに快適に相模湖駅まで走り抜ける事が出来た。

(記 そうべぇ)

ヤビツ峠〜蛭ヶ岳~焼山登山口

期 日:2019年5月5日(日)
参加者:そうべぇ

5月5日(日)
ヤビツ峠(8:30)-塔ノ岳(11:20~11:35)-丹沢山(12:18~12:25)-蛭ケ岳(13:33~13:40)-姫次(14:34~14:40)-焼山登山口バス停(16:28)
   
丹沢山塊は春から夏にかけて「ヤマビル」シーズンである。あの得体の知れない生き物は人知れず忍び寄り血を吸うのだ。考えただけでもゾッとする。私は嫌いである。「ヤマビル」が活発に活動するシーズン前に丹沢山塊はかたづけておきたかったのだが、活動真っ盛りのシーズンの山行となってしまった。
今回の山行の特徴は、「時間との勝負」。焼山登山口バス停の最終バスは16時38分。これを逃すと、タクシーに頼るかまたは歩いて三ケ木バスターミナルまで歩く事になる。これは何としても避けたい。このコースは1泊2日の山行が一般的であり、日帰りでの縦走、しかも制限時間がある事は非常にリスキーなのだ。マラソンならば制限時間に通過できなければランナー回収用のバスが来て、楽にゴールまでたどり着く事が出来るのだが、山ではそうはいかない。そのため制限時間を設け大倉尾根を下山するエスケープルートを用意した。制限時間は「丹沢山に12時00分」までと決めた。スタート地点となるヤビツ峠までは、秦野駅からバスで向かう。時刻表で調べると秦野駅7時44分発、ヤビツ峠には8時32分着。秦野駅ではたくさんの登山客が列をなしバスを待っていた。バスは次から次へとやってくる。「なぜ?」「そっかー!!」今はゴールデンウィーク中の春山シーズンなのだ。バスは臨時便がありしかも増発されていた。知っていればもう1時間早く行動できたのだが、あとの祭りである。
8時30分にヤビツ峠をスタートした。ゆっくりと急がず、抑え気味に歩き始めた。スタミナ切れが最大の敵。時間を気にして体が出来上がっていないうちに心拍数を上げてしまうと、血液中の乳酸値が高くなりバテの原因となってしまうからだ。そして水分補給。
ニノ塔、三ノ塔と順調に過ぎ、烏尾山あたりではフルモードとなっていた。煽りながらの山行をしているわけではないのだが、前を行く登山者たちが次々と道を譲ってくれる。飛ばしているなと思う登山者にもあっという間に追いつき、しばらくは後をついて登るも、そのうちに道を開けてくれた。いやらしい登山をしているなと少し反省した。塔ノ岳には11時20分に到着、少しの休憩を挟み出発した。

塔ノ岳

12時を過ぎてしまうが丹沢山まで1時間でいけたらそのまま行動を続けようと思った。12時18分に丹沢山に到着。蛭ケ岳までのアップダウンは絶望的な遠さに思えた。本当に行けるのだろうかと考えてしまう。疲れも出ていたが、躊躇せず先に進んだ。恐ろしいほどのアップダウンを繰り返し、蛭ケ岳が近づいてくる。その向こうには富士山。蛭ケ岳は近づいてくるが、富士山は近くには来ない。大きな山だとつくづく思う。

蛭ヶ岳

蛭ケ岳を13時33分に通過、姫次へと向かう。もうこのころからほとんど登山者には出会わなかった。姫次までの登山道は少々荒れているのかなと思った。それに比べ人気の塔ノ岳までのルートは幾つもあるが、ヤビツ峠からのコースや大倉尾根のコースは整備されていると思う。姫次には14時34分到着、少しの休憩を挟みすぐに出発した。ここからは緩やかな下りの連続となるので、かなり走れる。まだ走る体力は残っていたのでありがたかった。最終バスまで2時間を切っている。「走れるだけ走ろう」と思いスタートした。でも転んで怪我をしてもしょうがないので、「走れるところだけ走る」ようにした。    黍殻山を過ぎたところで外国人女性のハイカーに出会った。突然出会ったので驚いてしまった。大きなザックを背負い、この時間に一人で山に登っていたのである。話を聞くと、オーストラリアから遊びに来たようだ。東京から大阪までハイキングしながら旅をしているとのこと。1ヶ月前に東京につき、これから3ヶ月かけて大阪まで徒歩で向かうらしい。そして今日はビバークするとのことで、どこかビバーク地はないかと尋ねられた。一人用のテントは持っているとのこと。近くに黍殻避難小屋があることを教えた。日本ブームなんでしょうか、たくましいなと思った。避難小屋まで案内してあげたかったのだが、私は時間との勝負中であったので、少しの会話で別れた。なだらかな下りを走った。北斜面なので、陽が当たらないと薄暗く、慎重に走った。16時28分に無事に焼山登山口バス停前に到着した。バス到着10分前だった。

焼山登山口

体力的にも充実し、時間との戦いのためそれなりに緊張もあり、全てにおいて楽しい山行だった。

(記 そうべぇ)

高見石〜北横岳山頂駅

期 日:2019年5月1日(水)~5月2日(木) 
参加者:Lそうべぇ、メイメイ

50周年記念山行は、1月の初詣山行からスタートした。八ヶ岳エリアは2月の会山行で本沢温泉をベースとして硫黄岳から天狗岳が繋がっていた。3月の個人山行でも高見石小屋から天狗岳をつなぎ少しずつだが距離を稼いでいた。本格的な取り組みは暖かくなった4月から丹沢エリアを中心に南から北に北上する山行が続いていた。私たちは、八ヶ岳エリアでも比較的入りやすい麦草峠を起点に高見石小屋から北に少しでも距離を伸ばそうと雨池峠近辺までを計画。また、次の計画が立てやすくなるだろうと思い起点がロープウェイ山頂駅となるコースを選んだ。そして、この日は「令和元年」のスタートの日でもあった。

5月1日(水)曇り時々雨
白駒池駐車場(10:40)-白駒池(11:00)-高見石(11:40~12:25)-丸山山頂(12:50)-麦草峠(13:40)-白駒池駐車場(14:00)

令和元年スタート日でもあるこの日、残雪の八ヶ岳に向かった。例年になくこの時期までこんなに雪が残っているのは珍しいとのこと。天気は曇りから雨。残雪に雨は少々寒い。白駒池駐車場から白駒池、高見石、麦草峠の周回が今日の予定だ。観光シーズンでさぞ賑わっているだろうと思っていたのだが、駐車場は閑散としていた。白駒池には青苔荘と白駒荘の2つの山小屋があり、ここはハイキンググループで賑わっていた。しかし寒いし雨なので、なかなか小屋から出られないのだろうか、白駒池を散策している人はあまり見かけなかった。白駒荘から高見石までは登りとなる。アイゼンを付けることなく高見石に到着した。霧雨とガスのため展望は得られなかった。山行の目的がルートを繋ぐことなので、展望が得られなくとも達成感や充実感がある。高見石小屋で「令和」と記されているカップラーメンを食べた。途中のコンビニで購入したものだが、これも記念の一つと思い写真も一枚撮った。12時25分ごろ小屋前を出発。雨は止む気配はない。

丸山山頂

丸山山頂を経て麦草峠に到着した。麦草峠には麦草ヒュッテがある。

麦草峠

以前泊まったことがあるとメイメイは言うが、思い出せない。ここから白駒駐車場までは森の中を歩いていく。森林浴ができる散策コースなのだろう。この日は白駒駐車場にて車中泊。

5月2日(木)曇り時々晴れ
白駒池駐車場(7:10)=麦草峠(7:15~7:20)-茶臼山(8:35)-縞枯山(9:30)-雨池峠(9:55)-山頂駅(10:45)-五辻(11:40)-麦草峠(13:25)

早朝に車を麦草峠駐車場に移動させ、雨池峠を周回する。天気は回復に向かっているようだ。時折、青空が顔を出す。でも風が強く、寒さを感じる。歩き始めると汗ばむが止まると汗で濡れた体は余計に寒さを感じた。麦草峠の茶水池はほとんど雪で覆われていた。大石峠を経由し茶臼山に登った。

縞枯山山頂

縞枯山から雨池峠までの下りは念のためアイゼンを付け降った。雨池峠から雨池を経由して麦草峠に戻るルートも考えたが、次の計画が立てやすいように山頂駅へと回るルートをとった。雨池峠からすぐの縞枯山荘でコーヒーを飲みながら小屋番との山談義は楽しかった。縞枯山荘は昔泊まったことがある。それは覚えていた。やはり、4月に降った雪のために雪解けが例年になく遅れているとのこと。山頂駅前まで雪が残っていることは珍しいようだ。30分ほど小屋で暖を取り出発した。山頂駅前は別世界だ。今までは静かは山歩きを満喫できたが、山頂駅前は観光地であり、私たちの格好が場違いではないかと思われた。冷たそうな雨雲と真っ青な青空がはっきりと分かれている。茶臼山、縞枯山上空が分水嶺のように西と東で分かれ、西斜面は青空が広がっていた。山頂駅からは西側斜面を歩くので暖かくて気持ちが良い。五辻、出逢いの辻を経由して大石峠にでて麦草峠に到着した。出逢いの辻から大石峠まではグズグズの雪で足を取られ歩きづらい。メイメイも苦戦している。陽射しはあるが風が冷たく、凛とした山行だった。13時25分に麦草峠に戻った。

(記 そうべぇ)

春山合宿B隊 八方尾根

期 日:4月28日(日)~4月29日(月)
参加者:Lそうべぇ、ダイヤ、こま、かわまさ、りこ、おとっつあん

4月28日(日)雨のち吹雪
道の駅「白馬」(7:30)=八方P6駐車場(7:45)=八方山麓駅(8:00)=八方池山荘(8:40~9:10)-2600m付近(14:40~15:00)-2560m付近ビバーク(15:30)

暁は今年50周年記念の節目、元号も平成から令和に改元されGWも十日間の長期休みとなった。記念山行の一環として計画した春合宿は成功するであろうとの期待で、B隊は車を長野県白馬方面へと走らせた。天気予報は低気圧が近づいているため土曜日は崩れるが、日曜日は回復とのこと。高速を安曇野で降りたあたりから雨が降り始めた。昨年同様にみそら野交差点脇にある駐車場で仮眠をする予定だったが、雨の中でのテント設営は避けたかったので道の駅「白馬」の軒下を借りて仮眠した。
起床した時には雨は小雨であったが時折陽もさすので、天気の回復に期待した。7:30にスキー場の駐車場へと移動し、準備を整えた。8:00ゴンドラアダムは運行開始、昨年はこの山麓駅近くの駐車場はすでに満杯であったが、今年はかなりの空き状況だ。観光客は10連休の長期休みなので余裕を持った計画を立てているのかなと想像する。当然スキーヤーも少なく、ゴンドラリフトには待つことなくスムーズに乗ることができた。ゴンドラとリフトを乗り継ぎ八方池山荘前に到着、8:40だ。昨年より1時間ほど早く到着できた。昨年は快晴の中、合宿を終わることができたので、その成功体験から今年も楽しい山行が出来ることを期待した。今は悪天であるが必ず天気は回復すると信じた。八方池山荘では雨も雪に変わり、風も強いなと感じた。ガスがかかっているが北アルプスはかろうじて見ることができた。身支度を整えて出発。ここ数日は快晴、雨、雪を繰り返していたのか雪が安定していない。つぼ足では膝まで踏み抜くところがありワカンに履き替えるが、今度は木道が現れ、ワカンが木道の階段を嫌う。ワカンは数メートルしか役に立たなかった。第一ケルン、第二ケルンと高度を上げていくに従い、風、雪も強くなる。それでも天候の回復を信じて先に進む。台風並みの風に雪が激しさを増し、まるでブリザードの様だ。耐風姿勢を強いられることもあり、体が風に持っていかれそうだ。本当に天気は回復するのだろうか。風は一定の方向からではなく、あらゆる方向から私たちを襲う、ボクサーのパンチのように。登山者の数も昨年と比べると全く少ない。この嵐を予想していたのだろうか。八方尾根は白樺の木が少々立っているのみで、北アルプスの稜線から打ち下ろされる風から身を守る場所がない。休憩するも風に身をさらしながらの休憩であるため、休まらない。高度を上げるに従い尾根が痩せてくる。2500m付近からはほとんど人が一人ずつしか通過できないように雪の量も増している。トレースが雪ですぐに埋まってしまう。14:40頃2600m付近唐松岳頂上山荘手前の岩陵帯に出た。これを越えれば山荘だが、さてはて、どうやってこの岩場を通過すればいいのか悩む。雪が少なければ岩を巻くこともできるが、降り積もる雪の量が多く、表層雪崩を起こす危険があるので躊躇する。岩をそのまま通過するには中央のルートと右のルートの二つのルートがある。中央ルートは雪がべったりとつきホールドがあまりない。右ルートはホールドがそこそこにあるが右側が切れ落ちている。滑ると崖下に落ちてしまう。そして我々の装備にはザイルなどの登攀具がない。振り返るとよたにダイヤさんが手招きをして私を呼ぶ。メンバーの2人の体調がすぐれないとのことだ。何時間も強風や雪に身体をさらされ体温も奪われ、体調を崩してもおかしくない。15:00、もはやタイムアップである。岩場を超えることを諦め、少しでも風が来ない場所を探しビバークにすることを決めた。しかし、そんな場所がどこにあっただろうか。しっかりと風を避けられるような場所などなかった。岩場の手前50mほど下ったところに風が一瞬弱くなるところがあったことを覚えていた。そこまで戻りビバークにすることにしたが、すでにホワイトアウト状態であり、下山方向がわからない。目を凝らしガスが動いた時に下山方向を確認しビバーク地点に向かった。私たちの他にも2パーティが同じような行動をとってビバークした。風はおさまる気配などなく、より強くなっているように感じる。この場所でテント2張りは無理であるため、1張りに6人入ることにした。強風の中でのテント設営、しかも稜線上であるため慎重に準備するが、ポールを一本流してしまった。もう一つのテントポールを使う。また爆風のような風に襲われテントが飛んだ、と思ったがかわまさがテントの裾を掴みかろうじて飛ばされることを防いだ。テントはピッケルや張り綱で固定するが、設営場所は傾斜があるため張り綱が切れたら谷底に滑り落ちてしまうのではないかと不安を抱えた。心配であるがテントに入り暖をとった。寒さ、水分不足、シャリバテなどが原因なのか、震えが止まらない者、足がつる者が続出。卵スープを飲み、体を温めた。いつもならここから夕食の準備から楽しい夕食が始まるが、今回はその余裕がない。4、5人用のテントに6人のため、窮屈な格好で過ごすことになる。そして入り口付近が下がりはじめ、下がったところに人が引き寄せられまるで蟻地獄のようだ。風はまだ止まない。爆弾のような強風がテントを襲う。夜中の2時ごろに風の吹く間隔が長くなったことに気がつく。もう少しの辛抱だと思い夜が明けるのを待つ。眠ることができずに夜が明けた。テントの中にいても陽が昇ったことがわかった。結局、強風雪は17時間ほど吹き荒れていた。山の厳しさを教えられた一日だった。

4月29日(月)晴れ
ビバーク地(7:30)-八方池山荘前(10:00-10:15)=八方ゴンドラ山麓駅(10:40)= 駐車場(11:00)

早朝であれば雪も締まっているため、岩稜帯も岩を巻いて登ることはできるのだが、下山を決めた。

ビバーク地にて

快晴の中の下山は楽しい、昨日とは大違いでとても気持ちの良い雪山歩きだ。下るにつれて、登ってくる登山客とすれ違う。それはまるで砂糖にアリが隊列を組んで群がっているような光景に見えた。八方尾根は見晴らしが良い、唐松岳、五竜岳、富士山や八ヶ岳など素晴らしい眺めだ。高度を下げると爺が岳、鹿島槍が見えてきた。A隊は今頃どのあたりだろうかと思い、昨日の強風の影響はなかっただろうかと少しだけ心配した。八方池山荘前には10:00ちょうどに到着した。とにかく無事に下山できたことに感謝したい。あれだけの悪条件にも関わらず、メンバーの質の高さを頼もしくも思った。
帰路の車中ラジオ放送で、唐松岳に登山していた登山客が2500m付近で発見されたがその後死亡が確認されたと伝えていた。心よりご冥福をお祈りいたします。

(記 そうべぇ)